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2012年2月21日 (火)

スタッフそれぞれの思い~[1]感謝と応援の言葉を贈ります~

『うまれる』上映会スタッフが、試写したり、運営に参加したりする中で思い出したこと、気づいたこと、伝えたいことなどを掲載していきます。

感謝と応援の言葉を贈ります
私は、本編を半分しか観られなかったのですが、その中で思いだしたのは、やはり長男の妊娠・出産のことでした。

長男を妊娠して、つわりがおちつき始めた15週目に出血。「出血したら、やばいと思って」と医師に言われた言葉が頭をよぎりました。それから自宅安静になり、19週目に、2度目の出血。切迫流産で入院。24時間の点滴と絶対安静の生活がはじまりました。

同時に、医師から言われた言葉。「あなたは、7か月から9カ月の間に早産する可能性がある。早産すると、生まれた子供は障害を持つ可能性が高い。そうなったとき、両親の離婚率も高くなるし、障害を持つ子供は、学校でいじめられることもある。21週目までに、こ
の子を産むかどうか決断しなさい。」

どれだけ、不安になったことか。厳しい言葉だと思った。でも、のちに、先生のお嬢さんが耳に障害を持っていると知り、この言葉の重みを知ったのでした。

祖母は、障害なんてもってのほかと、あきらめる選択もあることを示唆されたけれど、すでに胎動を感じているし、お腹の子を今手放すなんて選択は、私にはありませんでした。

そして、このまま頑張ることを決めてからは、我慢、我慢、我慢の毎日。ベッドから出ていいのは、食事と洗面とトイレのみ。いつまで続くかも分からない入院。張り止めの点滴を抜くと、出血。何度も繰り返しました。

一日が終わるごとに、手帳に印をつけました。出産予定日までを数えることが、一日の中で何度あっただろう。

友人が楽しんでいるようなマタニティライフなんて、一日もありませんでした。そもそも、本当に生まれてくるのだろうかという不安を、いつも抱えていました。妊婦雑誌の記事を読むだけで、気分が悪くなりました。だから、家族以外は、誰とも連絡をとりませんでした。きっと、私の気持ちを理解してくれる人なんていないだろうと思ったから。

2か月半の入院期間が過ぎました。30週目に入り、赤ちゃんも大分大きくなったので、一時退院を許されました。点滴はしないものの、朝・昼・夕・夜中に薬を飲み、入院していた時と同じ生活をしていました。

退院から一週間後、一番恐れていた、破水。すぐに産院へ。先生も必死で処置、大きな病院への転院の手配。あの厳しくて有名な先生が「ごめんね。」と謝ったのです。「大丈夫だから」と慰めてもくれました。

私以上に不安に思っていたのは、主人だったかもしれません。このとき、初めて主人の涙を見ました。「どれだけ小さい赤ちゃんが出てきてしまうのだろうか」と心配でたまらなかったそうです。

救急車でさいたま市立病院へ搬送され、1日でも長く、お腹の中に赤ちゃんをとどめておくことになりました。毎日少しずつ羊水は流れ出て、主人いわく、赤ちゃんは大きくなっていくはずなのに、お腹が小さくなっていったそうです。

お腹の中で、赤ちゃんは頑張っていたけれど、感染の値が高くなり、張り止めの点滴を止めたと同時に陣痛が始まりました。「赤ちゃんも、もう出たがっているのかもね」と先生。そして、陣痛の度に赤ちゃんの心拍数が下がり、緊急帝王切開。

21週と5日。1764グラムの男の子が誕生しました。産声を聞いたときの安堵感は、一生忘れることはないでしょう。でも、我が子をすぐに抱くことは許されませんでした。2か月の早産。未熟児。まさか自分の息子がNICUにお世話になるなんて、3か月前までは想像もしていませんでした。

出産してしまえば、私はもう病人ではなくなり、母親という役目をえるはずでした。でも、私のそばに赤ちゃんはいません。母子同室の病院。赤ちゃんと過ごす他のお母さん達を横目に、寂しい思いをしました。カーテンを閉めて、ひとりで黙々と搾乳。そんな精神状態で、母乳がたくさん出るはずもなく…。

勇気出して授乳室に足を踏み入れると、私と同じように搾乳している、ひとりのママさんに出会いました。一日違いで双子を出産した20歳の若いママ。同じような気持ちで頑張っている人がいるんだ!

その日を境に、私は前向きになれました。NICUに面会に行くと、彼女の赤ちゃんたちもいて、それよりも、もっと小さな赤ちゃんがたくさんいました。彼らの中にいると、我が子は、大きい方で、力強くも見えてくるのです。

いろんな管につながれているけれど、保育器の中で、足をつっぱり、逞しい。本当に少しづつだけど、彼は着実に成長してくれました。

生後5日で、NICUからGCU(未熟児室)に移され、一歩前進!そして、生後7日目に、やっと初めて我が子を胸に抱くことが許されたのです。小さくて、細い我が子。こちらは、おっかなびっくり。でも、抱いてみると、意外に重い。

ぴったりと肌にくっついた彼は、「お母さん、大丈夫だよ」と言わんばかりに、微笑んでいるように見えました。その時からずっと、長男は、母を励ましつづけてくれています。我々両親の心配をよそに、順調に成長し、2か月と言われていた入院が、1か月あまりで退院できました。

それからも、ひと月に1度は外来で検査や注射があったり、首がすわるまでに5カ月かかったり、どの小児科医からも、「この子は、発育・発達は2か月遅れであたりまえだから心配しないで」と言われ、余計に傷ついたり健康に生まれた子と比べると苦労も多かったけれど、彼との出会いは、私の人生において、間違いなく、最高の幸せです。

彼は、今2歳7カ月になりました。家族の太陽です。1歳2カ月の長女もいます。彼女の妊娠・出産は、長男の教訓を生かして慎重に進めたので、とても順調でした。その為か、物分かりの良い子です。長男も長女も、二人とも、私の宝物です。

それは間違いないのですが、二人にふりまわされて、イライラして、きつく怒ってしまうこともあります。というか、毎日怒ってしまいます…。

でも、今回「うまれる」上映にあたり、赤ちゃんは、あたりまえに生まれてくるわけではないことを、思い出しました。生きているだけで、素晴らしいということ。それさえ忘れなければ、子供に対して怒ることなんて、ないのではないかと思います。

映画の中で、医学の進歩により、昔は救えなかった命が救えるようになったと言っています。長男もその一人かもしれません。あの時、先生と看護師さんたちに救ってもらったと思っています。言葉が見つからないほどに感謝しています。

私が経験しことは、とてもつらいことでした。だから、未然に防げることなら、同じような経験をする人を少なくしたい。同じことで苦しんでいる人がいるなら、あなただけではないことを教えてあげたい。

そして、もっとつらい経験をしている人もいる。どうしようもなく辛いと思う。でも、落ちるところまで落ちたら、あとは這い上がるしかないと伝えたい。映画の感想ではなくて申し訳ないのですが、私が伝えたかったことです。

最後に、我が子のことばかり書きましたが、この状況をのりきれたのは、夫、両親、祖母、妹。かけがえのない家族がいたからです。

支える側も、身を削るような思いでした。本当に感謝しています。家族は、私の誇りです。素晴らしい家族に恵まれて、私は幸せ者です。ずっとそう思って生きてきましたが、今、改めて実感しています。私も、家族にとって、そんな存在でありたい。

会場担当 阿部(当日、主に司会をしています♪)


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